2011/06/13

YUSAKU KAMEKURA


一番好きなポスターと言われれば「東京オリンピック」のポスターと答えるかもしれない。
同じ業種の人には当たり前過ぎて「つまらない」と思われてしまうかもしれないが。もしかしたら自分より若い人達にはもう伝わらない話かもしれない。

今、自分が何に興味があるのかもう一度原点に戻ってみようと学校の図書館で気になったデザイナーの本を漁って見てる。
今はその「東京オリンピック」のポスターの生みの親である亀倉雄策のターン。

気になる文章をいくつか残しておきたく、ここに書いておくことにした。興味のある人もいつか見れるように。

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『「図按」から「図案」になり、そして「商業美術」になり、終戦をむかえて、やがて「商業デザイン」になり、ついに「グラフィックデザイン」という言葉に落ち着いた。
 思えば長い長い道程だった。道無き道の草を刈り、石を拾って道筋をつけて、そして幅を広げて車が通れるようにして、やがて舗装道路にするまで、大勢のデザイナーが互いに励まし合って道路工事に従事した。
この近代化された今のデザイン青年が当然のような顔で、スポーツ・カーですっ飛ばす。たとえばそこで手をあげてスポーツ・カーの青年に質問してみよう。「こんなに快適に走れるのは、誰のおかげだと思う。この道路を汗を流して造った人達のおかげなのだ。少しは感謝しているのか。」青年はサングラスを外しながら鼻で笑う。「さあ、感謝だなんて、道路があるから俺たちはすっ飛ばすんだ。」

(中略)

 デザインの学校を出て自称デザイナーと名乗る人は一年に3000人も出る。毎年この調子だから大変である。スイスのデザイナー、ミューラー=ブロックマンが私に「チューリッヒの学校から卒業するデザイナーは6人、多くて年に10人くらい。それに比べて日本は大変だ。いったいどうするんだ。社会現象じゃないか。」といった。
 全くその通りである。ネコも杓子もデザイナーである。それだけではない。学生のうちから世間ずれがして、けっこうデザインの仕事でかせいで、電話はひくし、車を買うというのがいる。だからますますブームをあおる。思想も精神もない軽薄なカッコいいだけの青年の姿である。そしてスポーツ・カーで道路があるからすっ飛ばす。この道路をコツコツ造った人たちの大半は、今や第一線から退いている。時代の流れだと言ってしまえばそれまでだが、流れとは冷たく寂しいものである(1966年当時の記事)』

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(ggg Books別冊 亀倉雄策1915-1997より抜粋)



約3ヶ月前、何となく自分もこの「軽薄なカッコいいだけの青年の姿」に見えてきた。
必要な技術は身につけた。道路があるから簡単。俺はその上を近道しながらなぞっていっただけに過ぎないが、それでも稼げる。よく大変そうだねって言われるけど、すっごい楽。でも今はそれで満足する気がしない。
きっと新しい道を造るのは大変なのかもしれないけど、そっちのほうがやってみたい事である。思想や精神というものが何なのか今は探ってみたい。



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